雑草
知らない方がいいことって果たしてあるだろうか。
知って公開することは山ほどあるかもしれないけど、本当に知らない方がいいことって何かあるだろうか。
どれだけ残酷な事実なのだとしても知ることに越したことはないかと思います。
知ってからその先を選択することもできるし、知らないと最初からその選択肢は出てこない。勝手に選択肢は減っていて、どんどん選ばされていく人生。
知らないから拒絶する。知らないことはすごく不気味で気持ちが悪い。
知ることで親しみが沸くことも少なくはないのではないか。
どんな小さなことでも知ることに意味がある。
学校へ行く途中に生えている草にもきちんと全部名前があって、それを知らないだけで私達は雑草と呼ぶ。
雑草と勝手にまとめられるだけでその一つ一つは「私はここにいる」と主張することもなく、今日も空に向かって手を伸ばしている。
スマホで写真撮って調べるとすぐ名前はわかるのかもしれない。そんな時代。誰もそれをしようとしないのは私達の意識が何も変わっていないからなのだろうか。
文明の力に踊らされていることを思い知らされる。
三連休の最終日、すさんだ心に水が溜まることはなく、すべてが零れ落ちていったような気持ちだけが残っている。
このままじゃだめだ。何も変わららない。いつの日か学んだはずだろう、夢も希望も持たなければならない。目標のある輝きを見据える人にならなければ。
幸せは自分でつかんだことだけに感じることができる感情だ。涙と一緒で意思とは関係なく一生懸命生きた人にのみ降り注いでくる。
明日も明後日も小さくてもいい、幸せをつかみに行くんだ。