カニ

両親祖父母にカニを送りました

初任給の10分の1でした

どれくらいよろこんでもらえるものか全然わかりませんが、何となく伝わるといいなと思います

海沿いの町に海産物はやっぱりちょっと変だったかなとも思います

そんなに特別感も出ないかなと思います

食べ物じゃなくてきちんと使える残るものの方が良かったのかなとも思います

それでも、お店の人のお勧めを選んでくれて、初任給とは言ってないけど絶対喜んでくれるよとも言ってくれたことはとても嬉しかったです

これでこれまでお世話になった分全てを恩返しできたわけではないので、これからも何かあれば色々送りつけてみたいです

いつになったら天秤が釣り合うくらいまで恩を返せるのでしょうか

改めて両親祖父母の偉大さが身に沁みます

 

社会人

気づけば4月が終わってしましました

社会人生活が始まって1ヵ月経ちました

生活、仕事、人間関係などなど何もかもが変わってしまいました

まだまだ慣れないことばかりですが、何事も前向きに捉えて、自分らしく明るくやっていけたらいいなと思います

周りの方々とはまだあまり仲良くなれるような気はしないですが、それはそれで仕方ないとも思いますし、仲良くやれたらそれはいいなと思います。

初任給はまだ特別な事には使ってないですが、少しずつ生活水準を上げていくこと、両親祖父母へ恩返ししていけたらいいなと思います

貯金ももちろんしていって、できればいい車が欲しいかなと思います。

仕事なので仕方ないことですが、自分のペースに合わせてくれることはなく、ミスもそんなに許されることもなく、力仕事も多いし、一度で全部覚えられるでしょ?次からはもうできるね?みたいなオーラが出ており、年が一回り離れた方々と仕事のコミュニケーションを取るのもとても緊張します

新入社員ということに甘えたくはないですが、慣れるまでの6か月間は辛抱が必要だなと思いました

慣れというのは怖い部分もあるので、適度に緊張感を持ってやっていけたらいいなと思います

ダメでもともと、失敗して当たり前、成功して男前、ダメ元がたまに成功するからそんな言葉があるのだと思います

自分らしさとは何か、考える良い転機になりそうな気がしています

掃除

引っ越しが近づいきているので部屋の掃除をしました。

割と使わないと思ったものはすぐに捨ててしまうタイプです。

その中でも残ったものはやはり思い出深いものであったり、人にもらったものであっり大切なものが多いのかなと思います。

そんなに大切ではなくても、何らかの思い出を思い出せるものであります。

普段は全く使わなくてもふとした時にそれを見るだけで何かを思い出せるって素敵だと思います。

特に人からもらったものは捨てにくいです。

たいしたものではなくても捨てるのにはけっこうためらってしまうことが多いです。

プレゼントにはなんらかの感情が詰まっていて、その感情まで捨ててしまうような気がしてなりません。

ずっと忘れたくない大切な思い出と共にそこにあり続けます。

物には捨てられるような罪なんてないのかなーって思います。

なにげなさ

金曜土曜とうちで小規模ながらパーティーをしました。

金曜は映画鑑賞会でした。日付超える手前くらいから2本見るって学生にしかできないノリだよなーと思いました。半分くらいは寝てしまいましたけど。

土曜はそうめんパーティーだったんですかね。楽しかったです。外食もいいですが、みんなで料理とまではいかないまでも作って食べるのはとても美味しいと感じます。

深夜の深夜はなんでも面白く感じて、意外と大爆笑してしまいます。

みんなで一緒に寝るっていいなって思います。

素とまではいかなくても新しい一面が見れたりあーやっぱりこの人面白いなって思えたりするのってなんかいいですよね。

特別なことしなくてもただ話してるだけで楽しいです。

むしろゆっくりいつまでも話してるのが一番楽しいです。

ずっとそんな時間が続けばいいのになって思います。

続かなくても大切にして忘れないようにしたいです。

 

 

好み

卒論発表がありました。

3年前、研究室に入る前に、先輩の発表を聞いた時にはさっぱりだったものも

次の年にはまがいなりにも自分が発表する側となり、なんとかこなし

その次の年には先輩としてそんなに適切なアドバイスはできなかったかもしれないけど

見てあげる立場となり

今年は2つ上の先輩となり、優秀な後輩たちばかりですが、みんな頑張っていい発表にしてほしいと思い、経験では自分の方が上なのかなとも思い、つい色々言ってしまうことが多いです。

要旨もスライドも発表原稿もやればやるほどもっとこうしたほうがいいんじゃないかと思うことがどんどん出てきてしまい、やっぱり終わりなんかないんだなあと感じます。

おまけにある程度までいくと、今度は見る人の好みが入ってきてしまいます。

小説が作家によって全く雰囲気が変わるように、歌が歌手によって違う曲に聞こえるように

いつだって表現者は自分の好みが外に出てきてしまいます。出さなければいい作品になることはないと思います。

自分好みのテイストを受け入れてくれる世界のどこかにいる誰かのために。

万人受けしなくてもいい。たった1人でも受け入れてくれる人がいるのなら。

それが個性ですか。

 

雑草

知らない方がいいことって果たしてあるだろうか。

知って公開することは山ほどあるかもしれないけど、本当に知らない方がいいことって何かあるだろうか。

どれだけ残酷な事実なのだとしても知ることに越したことはないかと思います。

知ってからその先を選択することもできるし、知らないと最初からその選択肢は出てこない。勝手に選択肢は減っていて、どんどん選ばされていく人生。

知らないから拒絶する。知らないことはすごく不気味で気持ちが悪い。

知ることで親しみが沸くことも少なくはないのではないか。

どんな小さなことでも知ることに意味がある。

学校へ行く途中に生えている草にもきちんと全部名前があって、それを知らないだけで私達は雑草と呼ぶ。

雑草と勝手にまとめられるだけでその一つ一つは「私はここにいる」と主張することもなく、今日も空に向かって手を伸ばしている。

スマホで写真撮って調べるとすぐ名前はわかるのかもしれない。そんな時代。誰もそれをしようとしないのは私達の意識が何も変わっていないからなのだろうか。

文明の力に踊らされていることを思い知らされる。

三連休の最終日、すさんだ心に水が溜まることはなく、すべてが零れ落ちていったような気持ちだけが残っている。

このままじゃだめだ。何も変わららない。いつの日か学んだはずだろう、夢も希望も持たなければならない。目標のある輝きを見据える人にならなければ。

幸せは自分でつかんだことだけに感じることができる感情だ。涙と一緒で意思とは関係なく一生懸命生きた人にのみ降り注いでくる。

明日も明後日も小さくてもいい、幸せをつかみに行くんだ。

継続

継続は力なりという言葉の重みはその人の人生次第であると思います。

今日からでも頑張って毎日、短くても文をたくさん書きたいです。

誰も見ていなくても、いつか誰かに届きますようにって思いながら続けることが知らず知らずのうちに自分の力となり、どこかの誰かを助けられるような力になるのかな。

信じ続けることがこの世界を変える一番大きな力だと信じています。

 

夜になると大胆になってくるのは誰しも一度は感じたことがあるでしょうか。

普段言えないことも言えるようになったり、突然大粒の涙が流れだしたり、孤独感に苛まれたり、何かの決断をするときは夜が多いです。

暗闇に誘われて、静寂の波に襲われて、もう一人の自分に出会えることがあります。

意外と狼人間は実在したのではないかと思います。

暗闇に視覚も聴覚も奪われて周りの余計な情報を全部シャットアウトされたときに写る景色はどんなでしょう?

夜に自分が詩人にされるときがあります。詩人になるともう綺麗事しか考えられなくなります。

でも、考えているようではもう遅いです。思考の底にたどり着く前に動き出さなければなりません。考えているその時にはもうすでに見えない時の流れに流されています。

もっと無様に泥臭く生きるために、大切なものを必死に守り抜くために足掻いてもがいて一歩でも前に足を出していきたいです。